081226 hokkaidomap.gif
 
     − 釧路 納沙布岬 知床 野付半島 など −

          北 海 道 ( 東 部 )
                              
1.はじめに 081226 hokkaido.jpg  今年(2008年)9月末から 10月初めにかけて、北海道東部 のパックツアーに参加しました。  女満別空港から釧路、納沙布岬、 知床、野付半島、摩周湖などを巡 りました。 (こうして地図を眺めると、北方 四島の存在感が強く感じられます) 2.釧路   釧路で思い起こされるのは、原田康子さんの「挽歌」です。  私が高校生になった昭和30年代の初めに、ベストセラーになりました。  釧路出身の著者が、釧路を舞台にした小説です。 20080929-1002hokkaido (2).jpg   小説の内容はよく覚えていませんが、釧  路湿原や釧路川に架かる幣舞(ぬさまい)  橋などが登場していたはずです。   釧路は霧が多くて暗く寒い土地というイ  メージをもっていましたが、今回は快晴で  した。 ←幣舞橋の四季の像「夏」(佐藤忠良)  ↓釧路湿原の遠望 20080929-1002hokkaido (5).jpg   夜、居酒屋で牡蠣やししゃもなどを味わいました。何となく外国に出かけ  たような気分でした。   翌朝早く釧路川を散策しました。秋刀魚漁の船が停泊していました。秋刀  魚は光に寄ってくるため、電照で左舷に集まった秋刀魚を右舷に追い、右舷  に仕掛けた網で掬い揚げるのだそうです。   釧路川の幣舞橋に近い所で鮭を水揚げしていました。 20080929-1002hokkaido (1).jpg ←秋刀魚漁の船  ↓鮭の水揚げ(後方に幣舞橋) 20080929-1002hokkaido (4).jpg 3.納沙布岬   釧路から納沙布岬まで走りました。  途中、厚岸を通りました。1960年(昭和35年)には、チリ沖地震によ  る津波で死者多数を含む大きな被害にあったそうです。  ↓厚岸 20080929-1002hokkaido (6).jpg          風蓮湖に寄りました。          冬には白鳥が群れる湖です。          ↓風蓮湖         20080929-1002hokkaido (9).jpg   納沙布岬周辺では昆布漁が盛んです。  歯舞の海は昆布が豊富ですが、ロシアの支配下に置かれているため、高い金  を払って制限時間内に収穫しなければならないようです。   昆布の良漁場である貝殻島は、僅か3キロ余り沖、目と鼻の先にあります。 20080929-1002hokkaido (11).jpg ←「返せ北方領土 納沙布岬」  ↓昆布を干している海辺 20080929-1002hokkaido (8).jpg   根室や納沙布岬は40年近い昔に訪れたことがあります。  その当時は、「本島最東端 納沙布岬」と記された杭と、わずかな土産物屋  さんがあっただけだったような記憶があります。今は、「四島(しま)のか  けはし」という大きなモニュメント(「北方領土」返還を祈念するために作  られたシンボル像)や、北方四島交流センターなどが整備されています。   北方資料館展示室には、「北槎聞略」のコピーが展示されていました。  船頭だった大黒屋光太夫は、乗った船が漂流し、当時の首都ペテルブルグの  エカテリーナ皇帝に謁見するため、厳寒のシベリアを駆けました。「北槎聞  略」は、9年半振り(寛政4年:1792年)に帰国した大黒屋光太夫から  の聞き書きです。 20080929-1002hokkaido (10).jpg ←四島(しま)のかけはし  ↓北槎聞略 20080929-1002hokkaido (12).jpg 4.知床   知床を訪ねるのは初めてです。  失礼ながら、知床は地の果てというイメージを抱いていたのは正さなければ  なりません。生活状態は関西などの山間部と大差ないでしょう。 20080929-1002hokkaido (13).jpg  とは言え、現在の姿になるま での開拓者の努力は、計り知れ ないものがあったと思われます。 ←斜里岳を背にした  じゃがいも焼酎の工場   ウトロの知床五湖の近くに、手を加えた形跡のある山林がありました。  かつて牧場として開拓され、その後放棄された場所だそうです。 20080929-1002hokkaido (14).jpg ←オシンコシンの滝  ↓知床五湖のひとつ 20080929-1002hokkaido (15).jpg   オホーツク海側のウトロから根室海峡側の羅臼まで、高速縦貫道路が開通  しています。途中の峠は「知床峠」で、目の前に「羅臼岳」を仰ぎ、少し首  を振ると根室海峡を眼下にし、沖に横たわっている国後島が望めます。 20080929-1002hokkaido (17).jpg 羅臼岳は紅葉が進んでいました。 ここから国後島がはっきり見え るのは珍しいそうです。   ←知床峠から見た羅臼岳        北方領土に思いをつのらせる人にとっては、島影が見えれば一層       胸が熱くなることでしょう。           知床や国後見据え山装う   てる爺        ↓沖に浮かぶ国後島      20080929-1002hokkaido (16).jpg       羅臼から南下すると、野付半島があります。       エビが背を曲げたような形で突き出ている日本最大の砂嘴(さし)       で、延長28キロメートルにわたるそうです。        この半島の中央付近にネイチャーセンターがありました。       このあたりが国後島に最も接近した場所(国後島まで16キロ)       だそうです。センターに備え付けの双眼鏡で国後島を見ると、島       にある僅かな建造物が見えました。                       ↓野付半島から見た国後島(白いのは岩)              20080929-1002hokkaido (18).jpg 5.その他   めったに全容を現わさないと言われる摩周湖ですが、明るい陽射しの下で  すっぱりと衣を脱いでくれました。 20080929-1002hokkaido (19).jpg  海岸沿いでは、ハマナスがあ ちこちで実を結んでいました。 甘酸っぱいいやみのない味です が、種が多いのが難点です。 ←裏から見た摩周湖   ↓熟したハマナスの実  20080929-1002hokkaido (7).jpg       ↓アイヌの伝統芸能を披露してくれた人たち      20080929-1002hokkaido (24).jpg  ↓小清水原生花園・濤沸湖 20080929-1002hokkaido (20).jpg        ↓冬には流氷が押し寄せるオホーツク海       20080929-1002hokkaido (21).jpg              ↓網走付近の田園風景             20080929-1002hokkaido (22).jpg 6.おわりに   日本の中では北海道が一番好きだ、と言うアメリカ人が多くいます。  広い大地が連なっている点で共鳴するからでしょう。その大地は、森林を切  り開き、野生動物を駆逐し、原住民を追いつめて開拓したものである、とい  う点でも共通しています。 20080929-1002hokkaido (23).jpg  根釧原野(こんせんげんや: 根室−釧路間の原野)を切り開 き、連なっている牧場を眺めな がら、アメリカでの開拓史に思 いを馳せました。 ←牧場の風景   北海道は広いので移動距離も半端ではありません。  今回バスでの走行距離は、4日間で合計1,200キロに達しました。   阿寒湖から網走に抜けるとき、この道路は明治時代に囚人が開いたものだ、  とガイドさんが説明してくれました。ガイドさんは北海道の暮らしのあれこ  れについても、主婦の経験を交えて語ってくれました。   バスガイドさんは、そろそろ3回目の成人式を迎えるという、美形のお嬢  さん(!)でした。年寄りには経験豊富な人が魅力です。   お別れのとき、「医者とガイドはひねているに限りますね」とお礼を言い  ました。                 (散策:2008年 9月29〜10月2日)                 (脱稿:2008年12月31日)   <ご参考>     ・アメリカ中西部の開拓史 ⇒ オマハ     ・冬の北海道旅行 ⇒ 雪と光の北海道 -----------------------------------------------------------------
この記事に感想・質問などを書く・読む ⇒⇒ 掲示板
       この稿のトップへ  エッセイメニューへ  トップページへ